活動報告

医師のキャリア形成をサポートするため様々な活動を行っています。

女子医学生、研修医をサポートする会「道医報1098号」

女子医学生と医師との懇談会 
常任理事 藤井 美穂

わが国の医師国家試合格者の女性比率が上がるにつれ(34.5%、平成20年)、当然、女性医師の比率も上昇してきています。まだ全医師の17.2%(平成18年)に過ぎませんが、年代によっては女性医師数が男性医師を超える診療科もでてきています。30〜34歳、30歳未満の産婦人科医師の女性比率はそれぞれ52.6%、73.1%、同様に小児科では41.1%、50.1%で構成されています。もちろん他の診療科でも早晩、3割を超える女性医師が第一線で医療を支えることになります。しかし、いわゆるM-dipといわれる30歳代の女性医師就業率の落ち込みが認められ(76.8%)、卒業後93%が就業していた女性医師の約4分の1が出産・育児のために現場を離れています。就業している女性医師中でも、実際にはパートタイマーとして働いている数が多いのが実情です。女性医師たちが「医師になる」と決めたあの時の情熱を持ち続けるためには、環境づくりが必須です。一つは育児しながら働くための勤務条件の整備、もう一つは女性医師たち自身の医師を続けるモチベーションの維持であり、この両輪がパランスよく回るようにサポートすることが大切と思います。
平成18年から、日本医師会では「女子医学生と医師の懇談会」を通し、メンターとしての先輩医師の役割を医学生との懇談で果たしてもらうため、各都道府県医師会に助成金を出し、支援してきました。


北海道では北大医学部、札幌医大、旭川医大の3大学の学生と医師のフォーラムを北海道医師会が共催していますが、当月号では平成22年1月9日、北海道女性医師の会(守内順子会長)主催の「第4回女性医師と医学生のおしゃべりフォーラム」(札幌医大基礎研究棟、参加者37名)で講演いただいた5名の先生から原稿を頂戴いたしました(札幌医大はじめての女性教授、解剖学第2講座:藤宮峯子先生、沖縄から北海道へ移り2人のお子さんを育児中の内科医:永井りつ子先生、救命救急センターの常勤女性医師第一号:蕨玲子先生、研修医2年目医師:産婦人科医をめざす滝本加奈子先生、子どもを連れ2度目の留学目前の北海道大学第一内科准教授:別役智子先生)。


We can do it!
札幌医科大学医学部 解剖学第2講座教授
藤宮 峯子
「大丈夫、きっとできる!」。研修医の頃から、これまで何度自分に言い聞かせてきたことでしょう。当時、同級生100人のうち女子学生はたった7人。内科に入局し、結婚した途端に、結婚した女性はうちの医局にはいらないという露骨な態度に遭い、いきなり出鼻をくじかれました。そこで、確かに体力的には男性に及ばないのだから、頭を使って自分にしかできないことをやって医局に貢献していこうと考えました。その後ずっと、only oneにこだわって仕事をしてきたのは、卒後すぐに受けた経験がバネになっていたわけです。
大学院を卒業した時、基礎の講座にとどまるか、臨床に戻るかの選択を迫られましたが、迷わず解剖学講座の助手になりました。一度学問のおもしろさやロマンを知ってしまうと中毒のように離れられなくなるのです。研究を始めた頃のわくわくする気持ちが、25年たった今でもそのまま残っています。何年にもわたって苦労して実験を重ね、失敗を山ほどして、ついにあっとく結果が出たときの喜びや、全エネルギーを投入した論文がアクセプトになった時の喜びは、何物にも代えがたいものです。一緒に研究していた同僚と抱き合わんばかりに喜び、ヤツター!と叫んで回るのです。この一瞬の喜びがあるからこそ、99.99%の地味な研究生活も苦にはならないのです。
女性であって本当に良かった、素晴らしい人生だったと思います。どんなに家庭と仕事の両立が大変でも、太古の昔から女性は家庭を守り子どもを育てて来たのです。だから、自然の摂理に従って女性の本分を果たすのは当然のこと。しかも女性特有のおおらかさと安定感で、男性たちを支え、次世代を担う子どもを育てられるという、こんなすてきな役割はないわけです。
私は今、研究室のリーダーとして、明日の臨床に直結する本当に価値のある仕事をして行きたいとっています。また教育の場においては、学生自らが医療人としての自覚に目覚めてくれるように、魂を吹き込んでいきたいと思っています。私自身、日々チャレンジの連続です。でも大丈夫!“We can do it!"です。

女医という立場で思うこと
滝川中央病院 内科
永井 りつ子
もうすぐ医師として19年、母親として8年になります。親となって私が一番変わったことは世の中のことを考えるようになった点にあります。この平和ながらも不安材料の多い状況で、子育て中の女医が働くということについて、私の話をしたいと思います。私は40代半ばで、7歳と6歳の子との3人家族です。生まれも育ちも沖縄ですが、1年ほど前に北海道に移ってきました。それまでは内科と高気圧酸素治療を中心に従事しており、現在は滝川市の民間病院で内科医として働いています。

私がこれまで仕事を継続できたのは、さまざまな支援があったからです。産後は当直や時間外診療は免除してもらいましたし、職場の上司やスタッフからのサポートもありました。また、ある程度は自分で仕事の調整ができたことも助かりました。講習会や学会には、実家の親や当時の保育園の園長先生のおかげで参加できました。振り返ってみると、ありがたい環境にあったのですが、それでも不便に思うことは多々ありました。少ないとはいえ、子連れでの時間外勤務や夜間の緊急連絡、早朝や時間外の会議、思うようにいかない講習会や学会への参加、子どもの病気、家事育児の負担の漸増、その両立への支援の少なさ、そして身近にメンターがいなかったことなどです。
今は縁あってこの地で暮らしていますがまだまだ問題は多いです。子どもが小学生となり道内に身寄りがないため、夜間の講習会や学会への参加はどうしようか。それと関連して資格の維持や取得をどのようにするか。さらに子どもの教育が絡んできます。私にとって子どもは宝です。仕事も宝です。子どもをたくましく育てながら、自身もステップアップしていくために、折り合いをつけながら歩いているところです。
これまでの経験から、後に続く後輩達に伝えたいことは、とにかく医師として一人前になってほしいということです。そして可能な限り仕事を継続すること。さらに自分なりの形で社会に貢献することです。現在の医師不足のなか、女医の活用が言われています。一方で男女を問わず、それに反感を覚えている人もいます。しかしながら、現状を踏まえ将来を見つめると、お互いに理解し信頼し合い、それぞれの役割を担うことが大切だと思います。子育て中の女医もその立場に流されるのではなく、萎縮することもなく、誇りをもって進んで良いのです。それが次世代につながり、世の中の牽引力の一つになっていくと思います。

救急医の職場環境を支えているもの
札幌医科大学救急救命センター
蕨 玲子
救命救急センターでの仕事は、ドクターヘリ等の病院前活動からそれに続く初療、患者が安定・回復するまでの集中治療などさまざまです。さらに実際の診療業務に加えて、講義活動、災害医療など救急に関する多くの仕事に携わっています。

時間に関係なく24時間365日患者を受け入れる救命センターで、女性医師がどのように働いているのか、忙しいイメージの救急医の職場環境はどのように支えられているのかは、あまり知られていないように思います。女性医師にとって救急は、不規則・長時間労働・・・等多くの問題があるように思われますが、24時間365日を全てー人でカバーすることは男女にかかわらず厳しいことです。そこで、チーム制で患者を受け持つことや、ある程度スケジュールの予測できるシフト制に従って勤務することで、勤務負担を軽減し、医療の質も維持することができます。当直や夜勤が通常よりも多いことは事実かもしれませんが、その代わり日中の陽がさす時間帯の帰宅も可能なので、太陽の下に洗濯物を干すこともできます。日中の時間帯にある程度の解放時間が得られるため、ストレス解消にも効果があります。もちろん家族の理解と協力が必要であることは言うまでもありません。 私たち札幌医科大学では、2003年に私が専従して以来、毎年女性医師が救急医として加わっています。札幌医大の高度救命救急センターだけではなく、1次から3次救急まで幅広い患者層をみている救命センターや、ER方式の救命センターなどさまざまなタイプの救命センターで活動していますが、全員生き生きと仕事をしているようです。しかし、チーム制、シフト制を維持するためには、ある程度の救急専従医の数を確保することが必須条件です・従来の救急のイメージである過密スケジュール、体力の限界、帰宅できないなどの悪い面は、救急の仕事内容というよりむしろ、救急医の数が不足していることに起因しているように思えます。十分な人数が確保できて初めて、ゆとりのある勤務体制が作られ、さらに職場環境が良くなることで、救急を志す先生方も増えていくのではないでしょうか。 
救急医の職場環境を支えていたのは、実は救急医そのものかもしれません。お互いがお互いを支えあいながら、同時に救急を支えているということで、私にとって職場の同僚はかけがえのない存在です。これからも一緒に救急を支えてくれる先生方が増えてくることを強く期待しています。

初期研修口に子どもを産むこと
勤医協中央病院2年目研修医
滝本 加奈子
女性医師フォーラムでは、「子育てしながらの初期研修」について前向きな話ばかりしてしまったので、ここでは「実はこんな後悔もしています」という内容を書いてみます。 
学生時代、私は病院実習に行くたびに「初期研修中に子どもを産みたいと思っていますが、この病院で可能ですか?」と聞いていました。おそらく勧誘のため、ほとんどの病院は「大丈夫、大丈夫♪うちにも初期研修中に産んだ先生いるよ」と答えてくれました。しかし1人だけ、「医師になって最初の2年は一番勉強して成長できる時期だから、自分の成長のために、最初の2年間で出産はやめたほうがいいと思うよ」というアドバイスを下さった先生がいました。当時の私は「初期研修中に1人目の子どもを産む!」と決心しており、このアドバイスには全く耳を傾けなかったのですが、最近、このアドバイスの重要性を再認識しています。
私は研修医1年目の7月から、切迫早産・出産で8カ月も休んでしまいました。ほとんど臨床経験がない状態で長期休暇に入った結果、休暇中に知識は吹き飛び、職場復帰時の知識量は、大学卒業時よりも明らかに下回っていました。その後1年間、指導医・同期がサポート体制を整えてくれ、子育てをしつつ全力で勉強してきましたが、やはり、医師として基礎となる「医師国家試の知識」が足りない状態からの再スタートはとても大変で、いまだにその知識を取り戻せていません)
この経験から、私は今の時点では「初期研修中、特に1年目で子どもを産むのはあまりお勧めできない。臨床経験がほとんどない状態で長期休暇に入ると、知識は簡単に消失し、復帰時の苦労も大きい。切迫早産などで初期研修が延長すると3年目以降の選択が狭まってしまう。産むなら、ある程度基礎知識が定着した3年目以降の方がいいのでは」と思っています。そうは言っても、子どもはかわいく、子どもに恵まれ無事出産できたことは本当によかったと思っています。この2年間、つらいこと・悔しいこともたくさんありましたが、周囲の方々のフォローのおかげで、何とか子育ても研修も両立してやってこられました。いつか私も、子育てや親の介護で大変な同僚(男女問わず)を助ける側に回りたいと思います。

医師として
北海道大学大学院医学研究科呼吸器内科学分野
別役 智子
私は、北大医学部65期生ですので、卒後21年になります。全身を診る内科医になりたいということ、呼吸器という分野にも興味があったこと、長く続けていけそうな気がした(その当時は)ので、第一内科に入局し、現在、同科の准教授をしています。
2人のそどもがいますが、研究と臨床と教育と育児と...なんて全部できるわけがありません。目先のことだけ考えて、周りに迷惑をかけながら日々過ごしているうちに、時間の方が瞬く間に過ぎ去っているという感じです。私の場合、実母がそばにいて、全面的に子育てをサポートしてくれました。その助けがなければこのペースで仕事ができなかったのは現実です。だから、何かを能動的にして乗り越えてきた、という意識はあまりないですね。私は、仕事をしなくてはならない(I must)からではなく、仕事をしたい(I want)からだという気持ちでやってきました。やめようと思えばいつでもやめられる、と自分に言い聞かせることで逆に開き直ってなんとか続けてこられたのかもしれません。女性医師は、それぞれの環境で難しい局面もあると思いますが、まず辞めないということが大事だと思います。一度辞めてしまうと、復帰するのがきっと大変だろうと思いますので。
もし、女性に限らずに、後輩の方に対してアドバイスさせていただくとしたら、次の4つの言葉でしょうか。(1)好きこそ、ものの上手なれ、(2)何かを選択するということは、何かを捨てるということ、(3)英語が(そこそこ)できることのアドバンテージは大きい、(4)良き相談相手(メンター)は生涯の宝。
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