体験談

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子育てと仕事を両立していた時のエピソード/医療法人社団 丘のうえこどもクリニック 坂田葉子

医療法人社団 丘のうえこどもクリニック
坂田 葉子

まだ、女性医師が非常に少なく、女性医師の入局を拒む医局が多かった時代、卒後3年目のことです。医局員の女性医師が妊娠するという事態に初めて遭遇した当時の医局長の第一声は、「おめでとう」ではなく「困りましたね」でした。

今ならその途方に暮れた様子が理解できますが、その時の私はとても強気に「困りましたってどういうことでしょうか。これからの時代、どんどん女性医師が入局してくるでしょうに」と反論。当時私は国立療養所道北病院(現国立病院機構旭川医療センター)の小児科に勤務していたのですが、この強気が功を奏してか、女性医師嫌いで知れていた上司も私のために保育園の準備をしてくれるなど、恵まれた?環境で医師と育児の両立生活を始めることができました。勿論、強気に出るからには、やるべきことはやって、なるべく後ろ指刺されないようにすることが鉄則。9か月目で産休に入るまで普通に勤務し、救急当番も行い、生後3か月目で復帰後は、夜間の呼出には子連れで行ったこともしばしばでした。細気管支炎や喘息で入院し、病室が我が家のような時もありました。そんな頑張りを上司も病院のスタッフもみんな認めてくれて、困ったときにはよく助けてくれました。

大学にもどってから、第二子を出産。血液、悪性腫瘍グループにいたので、化学療法、移植や透析と非常に大変な日々でしたが、直属のボス(現在の旭川医大小児科教授)に、「今できることを精いっぱいやってくれればいい」と言っていただき、ややこわばっていた気持ちはすっかりと楽になり、はつらつと働けるようになりました。

昔も今も、上司の理解は、力強い味方です。

我が家では「どんなに忙しくても、食事は子供たちだけではさせない。必ずどちらかが一緒に食べる」ことをモットーとし、学会等で二人ともに家を空けなければいけないときは、子どもも連れて行きました。うちは二人とも小児科だったので、片方が発表している間は他方が子守りといった具合に。普段不自由な生活を強いられていた子どもたちですが、結構いろんなところに行けて楽しかったようです。 

そうこうしているうちに月日は流れ、今は二人の子供たちはそれぞれの道に進んで行きました。大変な時期は、駆け足のように過ぎていきます。今、子育てと仕事の両立に悩んでいる先生方には、少し足踏みする時間はあるかもしれませんが、焦らずに、今自分にできることを考えながら、自分のキャリアを積み重ねていってほしいと思います。
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