体験談

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長い道程の先に/札幌マタニティ・ウイメンズホスピタル 小児科 小熊彧子

札幌マタニティ・ウイメンズホスピタル 小児科 小熊 彧子


 私は昭和20年、広島・長崎に原爆が投下される半年ほど前に道内で生まれ育ちました。

 私が学生の頃、インターン制度反対、医局制度反対などが声高に叫ばれておりましたが、みな真面目に良い医師になることを考えていたように思います。


 私たちは卒業した年の春に国家試験を受け、医師免許を取得しましたが、非入局・臨床系大学院ボイコットを掲げておりましたので、多くの者は青医連として大学病院で研修させてもらう道を選びました。全員が交代で3ヵ月間市中病院で研修医として給与をいただき、それをプールし、そこから全員が1ヶ月分ずつ1年間生活費を受け取りました。残りの9ヶ月間は3ヶ月ごとに希望の科をまわらせてもらうというものでした。私は一内、三井芦別炭鉱病院の内科で研修したのち、大学に戻り小児科、第一病理で研修させていただきました。


 翌年春、私は首都圏の病院の小児科レジデントなる名称の研修医となり3年間を過ごしました。その後、興味を持っていた分野を学びたいと思い、やはり首都圏にある他の病院に移りましたが、4年弱で退職、北海道に戻り結婚しました。


 結婚後は、次々と出産また姑女が認知症になったこともあり、家事・育児・雑用などであっという間に年月が過ぎてしまいました。


 当初、医療現場を離れたのは、自分の子供を見ずに小児科医を名乗ることにひっかかりを感じたというのもありましたが、医療の場を離れたのだから医師とは言えないという思いにもなりました。


 50代に入った頃、現役で仕事を続けていた友人に、どこか病院で研修させてもらえたらと思っているのだがと尋ねたところ、それは現場の者にとっては迷惑と言われ、妙に納得してしましました。


 世の中はIT時代と言われるようになり、取り残された感を強くするようになりました。60歳頃、老人向けのパソコン教室に通いました。検索し、必要なことをダウンロードし印刷する。今もできるのはそれくらいです。


 医学を勉強し直してみたいと思い、自宅にあった分厚い生理学の本を読み始めましたが、なかなか読み進めることができず挫折してしまいました。ならば、小児科学からと思いましたが、家にいるとつい家事を優先してしまい思うように進みません。


 60代半ばにさしかかり、大学の小児科の講義を聴かせてもらえたらと思い、思いきって小児科医として仕事をしている同期生に電話をしたところ、小児科の医会長(かつての医局長ポスト)にお会いできることになりました。秋に小児科の集中講義があるとのことで、それまでは教授回診を見せていただけることになりました。秋、大学の講堂で学生さんたちと一緒に各々の分野の先生方からの講義を聴かせていただきましたが、医学医療の進歩に目を見張る思いでした。と同時に、しっかり勉強し直さなければ、とても医療現場に戻ることはできないとの思いを強くしました。その後も2年程時折り外来も見せていただいたりしながら過ごしました。私は卒後道外に出てしまい、出身大学の小児科とは無縁に過ごしておりましたのに、ただ卒業生というだけで勉強する機会を与えてくださった教授はじめ教室の先生方、いろいろ便宜をはかってくださった事務の方々に本当に感謝しております。
また、現場で実際の医療を学び、その延長線上に私が医師として何かできることがあればと思い、インターネットで「女医復帰」を検索しましたが私には敷居が高く感じられました。


 その後、北海道医師会の女性医師等支援相談窓口のサイトで、道内での復職に向けた研修病院などが掲載されるようになり、平成27年春、思いきって医師会館を訪ねました。私は、その時70歳になっていました。前の年に母を亡くし、その後の後片付け事が一段落したのもありますが、もうこれ以上延ばしたら永久に復帰できないと思いました。突然の来訪にも関わらず、相談窓口の小林様が親切に対応してくださり、コーディネーターの藤井先生にもお忙しい中お時間をお取りいただき、ご配慮いただきましたこと有難い限りでした。


 母は50歳を過ぎてから車の免許を取り、80歳近くまで運転をしておりました。また、私の姉兄を幼児期に病気で亡くしたためでしょうか、私が医師になることを強く望んでいました。


 まず、北海道対がん協会へ伺うことになりました。検診車に乗る医師が少ないことと、最初のトレーニングの場としては良いのではないかとのことで、健診センター外来での研修をスタート、合間に、検査部門の様子等も見せていただいたりしました。長瀬会長をはじめ、センターの先生方、事務、スタッフの方々に本当に良くしていただきました。


 ただ、私はやはり小児科医としての仕事ができるようになればとの思いがあり、産院で乳児の健診と予防接種をしている所での研修を希望したところ、受け入れていただけることとなりました。健診センターでの研修は一応秋に終了し、機会があれば検診車に乗せていただくことになりました。その後、小児科の方は伺う回数を少し増やし、期間の延長もしていただけることとなりました。


 予防接種もかつてとは違い、VPD、同時接種と時代の流れを感じます。健診に関しても、何十年分の知識、学問の進歩を受けなければと思いますし、診るのは乳児ですが多岐にわたる関連分野の知識の必要性を痛感します。


 今年1月から1ヶ月健診のお手伝いをさせていただくこととなりましたが、乳児を診ること、母親にかける言葉の重みを感じながら診療しています。また、週一回は上の先生の診療を見せていただいており、これからも良い医師になるべく、もっともっと勉強しなければと思っております。私のような者を受け入れてくださった病院、足手まといにしかならない私をご指導くださる先生方はじめスタッフの方々、ご面倒をおかけした事務の方々に感謝の気持ちでいっぱいです。


 私がまだ研修医だった頃、お子様がいらっしゃる女性の先生方が通勤途中でお子様を預けられたり、ご近所の方またはご自宅でお手伝いさんやお姑さんたちに見ていただきながらお仕事をされているのを見てきました。いまだにお仕事を続けられてらっしゃる先輩方から元気な年賀状をいただくと嬉しく、ようやく私も少しは仲間入りできるかなという思いもいたします。


 今は、医学を学ぶ女子も増え、仕事を続けるのは当たり前、またそのための環境も整えられてきているように思います。私のような生き方に多々ご批判はあろうかと存じます。ただ、私の拙い一文が、まだ一歩を踏み出すのを躊躇していらっしゃる方の背中を押すことができたらと思っております。



 これまで、私に関わってくださったたくさんの方々に感謝しつつ。

                             平成28年5月5日

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